2006年10月
ドタバタとした日々が一頻り過ぎ、少し落ち着いてきただろうか。
転職に伴い、3年あまり過ごしたシアトルを離れることにした。
この一ヶ月あまりの間に、本当に多くの人々にお世話になった。相談に乗ってもらい、助言や指南をもらい感謝の限りだ。
改めて厚く御礼申し上げたい。これまで、これほど人にお世話になったことは無かっただろう。自分も残りの人生で経験を積み重ね、出来るだけの恩返しをし、多くを社会に還元していきたいと思う。
シアトル暮らしでの大きな収穫は(珍道中なアメリカン生活のエピソードも多々あるのだが、特に一つあげるならば)「本当に良い」と言えるエンジニア何人かを同僚に持てたことだろうと思う。職場には国内外から多くの技術者が集まって来ていたが、その中でも超越的に優れている人物というのは稀だった。目分量で大体5%程度だろうか。
どのような選考過程を経た集団でも、人を集めれば松竹梅それぞれ1/3ずつにだんだん階層が分かれていくものだという説もある。頑張る人はそれなりに、そうで無い人もそれなりに、集団の中のポジショニングに応じて、それぞれ適応、分離していくのだろう。
シアトルの職場でも、人が増えれば増えるだけ、平凡なエンジニアの比率は増えていったが、そんな中で異彩を放つエンジニアは数えて五人程だった。彼らの仕事振りは凄まじく、ぶれが無い。自分自身はエンジニアとしてはヌルめな方だと自認しているが、すばらしい人たちと共にすごし、沢山のことを勉強させてもらった。多謝だ。
今回、勝手に殿堂入りした五名の方々:John,Cris,Bruce,Andrew,Tracy
シアトルでの生活は三年余りにわたった。ふと考えてみると、20代初めに人格が変化しにくくなって以来これまで、約三年を一区切りにして様々な転機を迎えて来ている。自分の飽きやすさの一つの証明である。言い訳すれば、一つの環境に居れば学習曲線はどうしても落ちていくこともあり、心機一転リフレッシュしたいと言う内なる欲求の表れ、と強弁できなくもない、か。
人の略歴と言うのはそれほど見て面白いものでも無いが、いつか役に立つこともあろうかと、メモしておこう。
●出版社丁稚時代(~1994)
役に立つことの多くはここで教えてもらった気がする。
当時のBOSSだったIさん曰く「赤は命がけで入れろ」、「石に噛り付いてでもしろ」。努力と根性だ。人間は何日徹夜を続けられるのか、等のデータを収集できたのもこのころ。
そのころお世話になった編集者の小林さんが、このたび新生ASCIIの編集長に就任されたとの事。おめでとうございます。と、遠くからエールを送る。
●編集プロダクション時代(~1997)
学業に戻ったものの、耐え切れずに編集プロダクション、PCゲーム会社を点々とする。仕事のやり方やノウハウについては出版社丁稚時代の貯金で食べていた時期ともいえる。
奥さんとあったのもこのころだが、それはまた別の話だ。
●大鳥居時代(~2000)
某ゲームプラットフォームの技術サポートに携わる。
ゲーム機に関して必要なことの多くを勉強させてもらった。
知り合った多くの方は、今でもお付き合いいただいている。
●笹塚、代田橋時代(~2003)
旧ゲーム機撤退&新ゲーム機立ち上げに合わせて転職。
引き続きゲームプラットフォームの技術部門につとめる。
再び貯金で食べていた時期だが、本当に色々なことを(好き勝手に)やらせてもらい感謝している。
●シアトル時代(~2006)
ソフトウェアというものについて広く学ばせてもらったと思う時期。大規模なものを設計し、造り、そして維持するノウハウと言うのは中々大変なものだな。
●そしてベイエリア時代へ
この先は(どんでん返しが無ければ)カリフォルニア・ベイエリアでの生活になりそうだ。貯金&引き出しのサイクルからすると、暫くは引き出しの時間か。実際、組織のしがらみを離れてみると、組んでみたいコードが沢山ある。
今後三年間のテーマとしては「価値の創造」と勝手に考えてみたい。
写真は、近所にあるCougerMountainZoo。小さな動物園で動物の数は少ない。が、そこかしに動物の彫像があり、名札がついている。
「ライオン(の彫像)」、「キリン(の彫像)」、「ゴリラ(の彫像)」、
「T-REX(の彫像)」等等。メタな動物園だ。
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