書評・映画評・ゲーム評
ちょっとお奨めの本、映画、漫画、ゲーム、ネタ
和製SFはあまりなじみが無かったのだが、とある方の三大ベストSFということで手にとって見た。小松左京は「さよならジュピター」、「首都消失」が80年代の映画化時に読んで以来だ。ざっと20年振りだ。
本作では、プロローグ、エピローグのなんともいえない情緒感に、独特の魅力がある。SFであって同時に日本の民話のような、熱海のひなびた温泉旅館で古典ビデオゲーム「エクセリオン」を遊ぶようなこうした不思議な感覚は邦文小説ならのもので心地良い。
粗筋はA.C.クラーク「幼年期の終わり」~「2001年宇宙の旅」、W.ギブスン「ニューロマンサー」等大勢につならる系譜の人類種の進化の行く末について夢想するものだ。それにスパイスとしてスパイ大作戦的な冒険活劇が加わるが、やや香辛料が効きすぎかもしれない。
物語では、知性体としての人間の思考が肉体のくびきから離脱してより高い階層に上昇して行く姿が描かれる。ここでの重要な問題は人間の思考が肉体を離れて抽象化することができるかどうか、という点につきるかと思う。
こうした問題については意外と近い未来にある程度の道筋がつけられるのでは、という気もする。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200705011520&page=2
IBM研究所、スーパーコンピューターでネズミの脳活動の再現に成功
もし仮にネズミの意識がマトリクス上に再現できるのであれば、より複雑な人間の意識は、より複雑なハードウェアによって再現できると言ってよいのだろう。
もしそれが人間の意識の本質であるのなら、その発見によって人類種は生きる目的の半分、次世代に命を繋ぐという目的は達成しつつあると言えるのではないか(のこり半分の目的は、種として生き続けることか)。
逆にマトリクスでの意識の再現が不可能だとすれば、それでは矢張り星の寿命を超えて生き延びて物理的に太陽系外に旅立っていくことが人類のゴールとなるだろう。
いずれにしても、遠い子孫が宇宙で生き延びてくれることを切に願う。それが本書のような人類の意識の進化によるものか、技術の進歩によるものかは、果たしてよく分からない。
写真は日本の実家からプレゼントの鯉のぼりで、小学校の「Kid'sDay凧揚げイベント」にゲスト出演したもの。
「鯉のぼり」は魚型の凧と認知されているようで「日本でも皆凧揚げするの?」と聞かれ、子供たちも鯉のぼり型の凧を一生懸命飛ばしていた。
うーん、そうだったような、そうでも無かったような。
「エンダーのゲーム」をはじめSF的名作が多い著者の作品。ハードSF者しては見逃せず手に取ったが、できれば読まずに過ごせたほうが良かったと思えるような衝撃的な結末であった。
終盤手前までは、「ホントーにあった怖い話(北米編)」といった趣きの、白人中産階級(やや下目)の生活感あふれるエピソードが続く。
職場のボスとの軋轢、信頼しきれない同僚、クレジットの返済、健康保険、学校のいやな先生、地域コミュニティへの参加と摩擦、家屋のトラブル、警官とのやりとり、スーパーでの買い物等など、、日常生活の中で良くある、ちょっとした手間のかかる事柄が次々と起こる。この、"一時が万事スムースにいかなさ感"が胸に沁みる。
そして唐突に、これ以上ない絶望的な幕引きで物語は終わる。
アドルノという方は「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」といったらしい。なんでも、文化は人間の野蛮性解消にちっとも役立っていない、どころか増長させている。むしろ文明は野蛮だ。ということのようだ。
別著「エンダーのゲーム」シリーズでも語られるが、O.S.カードはそうした人間の野蛮性を強く意識している。その野蛮的なものは、決して個人の資質ではなく、種全体の持つ不可抗力としての野蛮性であったり、集団の価値観の違いからくる、すれ違い的なものとして描かれている。(この点、あくまで個人に主点が置かれるル・グイン@ゲド戦記と趣が違って面白い)
その野蛮性の結果、ありえてはならないほど絶望的なことが引き起こされたとき、人は立ち直れるのか、ということがテーマのひとつといえるだろう。「消えた少年たち」でもあってはならない絶望が描かれるわけだが、そこから彼らが立ち直っていくのかどうかは、結局示唆されない。
本書の結末を通じて読者にも仮の絶望体験が提供される。個人的には、カタルシスというには程遠いこの後味の悪さは、できれば知らずに済ませたかった。最後の数章は読まないほうが良かった、と思ってしまう。いや、結末抜きでも十分に面白い。
現実においても、こうした事柄は人一人が生きている時間では、背負いきれない類のことなのでは、とも思う今日この頃だ。
新潮社「博士の愛した数式」。レモンライムのような爽やかな読後感が残るが、思い返してみると何かが小骨のように引っかかり、物足りない。
●小骨1
ここに描かれる「博士」は良き教育者ではあるが、PhDとしての訓練を受けた博士のあるべき姿ではない。博士は数学雑誌の読者クイズに応募などしてはいけない。
「科学という魔物に魅入られた人間は、もっとなにか善悪の概念を超越した超常さを湛えてる存在である。科学に身を奉げる者の責務は、人類種の繁栄をこそ目的とすべきであって、その他すべての事象は些末であるのだ。」
↑といったマッドなメッセージ性を書名から想像して手に取ったのだが、ちょっと想像が飛躍しすぎていたようだ。
●小骨2
博士は子供に対しての深い愛情をみせるが、どうもその愛情のあり方と、博士の数学への愛情のあり方が、しっくりとこない。
子供の良さとは、発展途上でありながら、故に不完全なもの。つまるところ未来への可能性ではないかと思う。博士も自身の中に無垢性を垣間見せ、それと質の近い、子供の存在を愛しているのだと思われる。
が、同時に博士が見せる数学への愛は、どう見ても数学の完全性への愛だ。同じ科学を愛するにも、科学の「厳密性」を愛するのと、科学の「不完全性」を愛するのとは大きな隔たりがある。自分が仕事をしているコンピュータにたずさわる界隈でも、マシンの「厳密で完全で均整の取れたギリシア彫刻のような調和的なビューティーさ」が好きという人と、マシンの「とんでもなく適当で何とか動いているけど次バグ出たら耳の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞ」という雰囲気を愛する人との間には分かり合えない溝がある。
果たして博士の内面に、子供の不完全性と、数学の完全性を同時に愛す余地があるのかどうか、自分には良く分からない。
他のお奨めの「博士もの」
・ビューティフルマインド
マッドであっても無問題。その明快な結末に感銘を受ける。日常とちょっと外れた日常の境目はとてもあやふやなのだという事に、改めて気づかされる。
・天才柳沢教授の生活
ここでの博士の科学的興味は、人間存在の不確実性に向けられる。科学を可能性あるものにさせているのは、単なる知識ではなく、科学的態度そのものなのだと思わされる。
・博士の異常な愛情
登場人物全員が狂気に侵される中で、破滅的な結末を迎える物語。マッドさは、常識的な世界の中でコントロール可能な状態にあって、はじめてその価値を見出されるのだろう。
・ドクターモローの島
ドクターモローの研究は断罪されるが、それは本当に罪なのだろうか? そうではなく、人類にとって必要な進化の手順だったのではないだろうか? リメーク版は未見。
●小骨1
ここに描かれる「博士」は良き教育者ではあるが、PhDとしての訓練を受けた博士のあるべき姿ではない。博士は数学雑誌の読者クイズに応募などしてはいけない。
「科学という魔物に魅入られた人間は、もっとなにか善悪の概念を超越した超常さを湛えてる存在である。科学に身を奉げる者の責務は、人類種の繁栄をこそ目的とすべきであって、その他すべての事象は些末であるのだ。」
↑といったマッドなメッセージ性を書名から想像して手に取ったのだが、ちょっと想像が飛躍しすぎていたようだ。
●小骨2
博士は子供に対しての深い愛情をみせるが、どうもその愛情のあり方と、博士の数学への愛情のあり方が、しっくりとこない。
子供の良さとは、発展途上でありながら、故に不完全なもの。つまるところ未来への可能性ではないかと思う。博士も自身の中に無垢性を垣間見せ、それと質の近い、子供の存在を愛しているのだと思われる。
が、同時に博士が見せる数学への愛は、どう見ても数学の完全性への愛だ。同じ科学を愛するにも、科学の「厳密性」を愛するのと、科学の「不完全性」を愛するのとは大きな隔たりがある。自分が仕事をしているコンピュータにたずさわる界隈でも、マシンの「厳密で完全で均整の取れたギリシア彫刻のような調和的なビューティーさ」が好きという人と、マシンの「とんでもなく適当で何とか動いているけど次バグ出たら耳の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞ」という雰囲気を愛する人との間には分かり合えない溝がある。
果たして博士の内面に、子供の不完全性と、数学の完全性を同時に愛す余地があるのかどうか、自分には良く分からない。
他のお奨めの「博士もの」
・ビューティフルマインド
マッドであっても無問題。その明快な結末に感銘を受ける。日常とちょっと外れた日常の境目はとてもあやふやなのだという事に、改めて気づかされる。
・天才柳沢教授の生活
ここでの博士の科学的興味は、人間存在の不確実性に向けられる。科学を可能性あるものにさせているのは、単なる知識ではなく、科学的態度そのものなのだと思わされる。
・博士の異常な愛情
登場人物全員が狂気に侵される中で、破滅的な結末を迎える物語。マッドさは、常識的な世界の中でコントロール可能な状態にあって、はじめてその価値を見出されるのだろう。
・ドクターモローの島
ドクターモローの研究は断罪されるが、それは本当に罪なのだろうか? そうではなく、人類にとって必要な進化の手順だったのではないだろうか? リメーク版は未見。
山の木は葉が茂ってあたりの景色が変わり、日も長く9時ごろまで明るい。
直射日光は暑いが、カラッとしていて過ごしやすい。
そんな短いシアトルの夏をエンジョイ、せずに、日本からお持ち帰りの「大神」を家人がプレイしているのを横で観戦。
画面処理
なんといっても墨絵的なエフェクトが美しい。PS2の固定機能GPUでこれを実装している気合に目頭が熱くなる。
画面処理としては、下記の三本柱と思われる
- ジオメトリによる縁取り
- テクスチャリング
- ポストエフェクトによる滲み的エフェクト
ToonShadingでの輪郭線表現と同等の処理
特にビルボードが効果的に使われている
また、主人公の一部にテクスチャアニメーションを使用
前フレームとの加算/減算フィルタ
加算する部位、減算部位の指定はテクスチャに持たせているようだ
同等の輪郭線でも滲む部位と滲まない部位がみられる
フィルタ適用のオフセット移動は、視点移動による加速度と時系列の揺らぎを持っている
処理内容はPS2のGPUがサポートするブレンディングモードに依存が、資料がなく詳細は不明だ
いずれの手法も、手作業による調整が必要そうなところに、デザイナの方のご苦労がしのばれる。
上記に加えて、疾走時の集中線エフェクトなどが必要に応じて追加される。
描画時の破綻はほとんどない。しいて言うならば、
などだろうか。どれもほとんど気にならないほどのものだ。
ふでしらべ
ゲームの世界観によくマッチしている。
なんとも良い具合なのは、筆跡がそのまま画面効果として画面内に投影される点だ。自分で書いたヘロヘロな線が、画面内の効果としてそのまま表示されるだけで楽しい。
処理内容としては、文字認識というよりも、筆跡の画数と交差をみて図形判定している様子だ。
15年以上昔にMSXマガジンに掲載されていた、毛筆風ペイントプログラムをふと思い出す。
その他
バランスの良さ、ゲーム内の仕掛けなどに「ゼルダの伝説」的な良さを感じる。「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」の遺伝子が活きているのかな~等と妄想。
オプション設定に液晶テレビ使用時の設定項目があるが、どの点が変わるのか謎だ。表示レイテンシ、ガンマ値、残像等が考えられるが、決め手に欠ける。
写真は、日本からお持ち帰りのマングースぬいぐるみ。
お腹を押すと愛くるしい声で「ぎゃぼっ」と鳴く。
SCE、Nintendo、MicrosoftのE3プレスカンファレンスをストリーミング配信で視聴。低画質版の配信が無料であることに気づかずに有料登録をしたことに、最初はげんなり。(有料課金サイトには、敢えて誤解を招くような表現が多い)が、思いのほか高画質版ストリームが快適なので満足した。
http://www.gamespot.com/e3/e3live.html
SCEカンファレンスについては、なんというか、大変そうだなぁー、という印象。価格設定については土壇場で$50値下げして値ごろ感をかもし出すという戦略もあるかと思うが、現状でのDisappointmentを考えると、もう少し発表を待ったほうが良かったのではないだろうか。クロック表記の消去や重量、スペックダウンをひっそりと開示するなど、苦心の跡が伺える。デモ&プレゼンもやや歯切れが悪い。
Nintendoカンファレンスは、岩田社長のプレゼンテーション技術がさらに上達していて驚かされた。前回GDCの時点に比べて、身振り、手振り、間の取り方などが進化している。また、コントローラにスピーカをつけるという仕様はWiiのコントローラにマッチしていて良いのではないだろうか。
デモンストレーション、ムービーの中ではMGS4、LostPlanet、ソニック・ザ・ヘッジホッグのトレーラが目を引いた。ソニックのトレーラーはここ5,6年目を引くことが無かったのだが、スピード感を強調した演出とモーションブラーの所為か、今年のトレーラーは格好良い気がした。
自分の目が節穴になったのかもしれないが、その他の日本タイトルは、ちょっと苦しいものが多い気がする。
MGS4のトレーラで気になったのは、主人公の自殺を思わせる演出がある点。アメリカ大衆文化ではキリスト教の影響から自殺はタブー視され、細心の注意を持って扱ったほうが良い題材だ。
ハリウッド映画では(知る範囲では)「テルマ&ルイーズ」、「エイリアン3」、「天と地」、「ディア・ハンター」、「ターミネータ2」などで登場人物が自殺する結末だ。
描き方としては
戦争のなかの狂気(天と地、ディア・ハンター)
アメリカンニューシネマ的な、抑圧からの開放的(テルマ&ルイーズ)
宗教的な"贖罪"を予感させる演出(エイリアン3)
自分は自殺できないから助けて的なこじつけ(ターミネータ2)
などのパターンだ。MGS4トレーラのような、観念的/武士道的な結末はアメリカ人には受容度が低く、本トレーラーにおいては少なくともポジティブな効果を出していないのではないだろうか。
また、MGS3は北米市場では期待されたほどのセールスをあげることができなかったが(北米約150万本)、これは、ベトナム戦争を想起させるトレーラーが影響したのではないかと勝手に解釈している。
ベトナム戦争もアメリカン大衆的には微妙なテーマなので、商業的な達成度という観点からは避けたほうが良いテーマだろう。
http://www.gamespot.com/e3/e3live.html
SCEカンファレンスについては、なんというか、大変そうだなぁー、という印象。価格設定については土壇場で$50値下げして値ごろ感をかもし出すという戦略もあるかと思うが、現状でのDisappointmentを考えると、もう少し発表を待ったほうが良かったのではないだろうか。クロック表記の消去や重量、スペックダウンをひっそりと開示するなど、苦心の跡が伺える。デモ&プレゼンもやや歯切れが悪い。
Nintendoカンファレンスは、岩田社長のプレゼンテーション技術がさらに上達していて驚かされた。前回GDCの時点に比べて、身振り、手振り、間の取り方などが進化している。また、コントローラにスピーカをつけるという仕様はWiiのコントローラにマッチしていて良いのではないだろうか。
デモンストレーション、ムービーの中ではMGS4、LostPlanet、ソニック・ザ・ヘッジホッグのトレーラが目を引いた。ソニックのトレーラーはここ5,6年目を引くことが無かったのだが、スピード感を強調した演出とモーションブラーの所為か、今年のトレーラーは格好良い気がした。
自分の目が節穴になったのかもしれないが、その他の日本タイトルは、ちょっと苦しいものが多い気がする。
MGS4のトレーラで気になったのは、主人公の自殺を思わせる演出がある点。アメリカ大衆文化ではキリスト教の影響から自殺はタブー視され、細心の注意を持って扱ったほうが良い題材だ。
ハリウッド映画では(知る範囲では)「テルマ&ルイーズ」、「エイリアン3」、「天と地」、「ディア・ハンター」、「ターミネータ2」などで登場人物が自殺する結末だ。
描き方としては
などのパターンだ。MGS4トレーラのような、観念的/武士道的な結末はアメリカ人には受容度が低く、本トレーラーにおいては少なくともポジティブな効果を出していないのではないだろうか。
また、MGS3は北米市場では期待されたほどのセールスをあげることができなかったが(北米約150万本)、これは、ベトナム戦争を想起させるトレーラーが影響したのではないかと勝手に解釈している。
ベトナム戦争もアメリカン大衆的には微妙なテーマなので、商業的な達成度という観点からは避けたほうが良いテーマだろう。
ここ二週間ばかり、FinalFantasy12に没頭している。20時間を過ぎたあたりから大分「苦行」と化して本末転倒なのだが、まだ情熱が続いている。
いくつか気づいた点についてメモ。
ガンビットによる簡易AI調整
古くは地球防衛軍など、簡易AIプログラム/パラメータ調整機能を持つ日本産ゲームはいくつかある。一方欧米産ゲームでは、スクリプト言語によるAI全体を記述できるというゲームは多くあるが’断片的な部品’を組み合わせてAIを構築、調整するタイトルはあまり見ない(気がする)。
個人をIndividual(分割不可)なものと見るキリスト教的思考と、統合されていない断片的な個人でも良しとするアジア的思考の違いが仄かに現れているのかもしれない。
プログラミングの見所
大変な大規模プロジェクトだが、全体的に手堅いクオリティでまとまっている。大きなバグも無く、技術面だけでなく、制作進行、QA等にも大変な苦労がしのばれる。
ムービーの品質管理
ムービーの圧縮品質がとにかく良い。冒頭の雲のシーンなどでも、ほとんどマッハバンドの見られない品質はさすがだ。ムービー画面比が16:9になっており、サイズが小さいのも圧縮クオリティ向上に一役買っているといえる。
データ管理・ロード
これも毎度のことだが、データのストリーミング、ロード管理などには感心させられる。キャラクタオブジェクトの遅延ロード等も、違和感なく仕上がっている。
ムービーシーンとリアルタイムシーンのクオリティ管理
自分の目が節穴な所為もあるが、リアルタイムシーンとムービーシーンの切り替えの区別がほとんどつかない。統一された質感はさすがだ。また、ムービー素材とリアルタイムレンダリングの合成も違和感が無い。
やや気になった点
イベントシーンのカメラ
イベントシーンのカメラが全体に悪く、イベントシーンのクオリティを下げている。なんというか、演劇的に感じられるイベントシーンが多い。演出意図の不明なカメラ注視が多いのも気になる
ゲーム中のカメラ
カメラにコリジョンが発生したときのカメラ強制移動が不自然なため、プレイ感覚を損なっている。具体的には、移動が速すぎる、キャラクタを見下ろす形にカメラが移動するのだが、このときカメラXZ軸がキャラクタと重なるとカメラがガクブルする。
髪の毛シミュレーション
パラメータが軽いため、猫っ毛のような妙なふわふわ感が醸し出されてしまっている。キャラクタごとにパラメータ調整されていると良いかも。
フェーシャルモーション
フェーシャルモーション(表情のモーション)は大変手がかかっているという印象。が、効果がイマイチと思われる。
現状では、エモーショナルな表現はFMV(Full Motion Video)に任せるか、もっと漫画的な表現にしたほうが良い気がする。
イベントシーンでの遠景解像度
擬似DOF(DepthOfField)効果を狙って、遠景を縮小バッファに描画していると思われるが、イベントシーンによっては、縮小バッファの解像度が低すぎて、カメラ移動に合わせて遠景がカパカパいって気になる。
その他
設定画面でのキャラクタ入れ替え後、1フレームだけ入れ替え前のシーンが表示されるため、やや苦しい。
ゲーム内容
ゲーム内容については、それほど語ることはないが、"ユニバーサルな"方向性を志向するあまり、前作FinalFantasyXやチーム前作ベイグラントストーリーにあった良い意味でのケレン味がスポイルされてしまっているのではないだろうか。
また、オマージュ、翻案、インスパイアについては自分は肯定的だ。が、StarWarsのプロットの一番美しい部分は「父と子の物語」であって、「ハン・ソロとその仲間たち」についてでは無いんじゃないか、と言ってみるテスト。ムービーの乾いた質感も、あるいは最近のSW系を意識しているのか、という印象がある。
いくつか気づいた点についてメモ。
ガンビットによる簡易AI調整
古くは地球防衛軍など、簡易AIプログラム/パラメータ調整機能を持つ日本産ゲームはいくつかある。一方欧米産ゲームでは、スクリプト言語によるAI全体を記述できるというゲームは多くあるが’断片的な部品’を組み合わせてAIを構築、調整するタイトルはあまり見ない(気がする)。
個人をIndividual(分割不可)なものと見るキリスト教的思考と、統合されていない断片的な個人でも良しとするアジア的思考の違いが仄かに現れているのかもしれない。
プログラミングの見所
大変な大規模プロジェクトだが、全体的に手堅いクオリティでまとまっている。大きなバグも無く、技術面だけでなく、制作進行、QA等にも大変な苦労がしのばれる。
ムービーの圧縮品質がとにかく良い。冒頭の雲のシーンなどでも、ほとんどマッハバンドの見られない品質はさすがだ。ムービー画面比が16:9になっており、サイズが小さいのも圧縮クオリティ向上に一役買っているといえる。
これも毎度のことだが、データのストリーミング、ロード管理などには感心させられる。キャラクタオブジェクトの遅延ロード等も、違和感なく仕上がっている。
自分の目が節穴な所為もあるが、リアルタイムシーンとムービーシーンの切り替えの区別がほとんどつかない。統一された質感はさすがだ。また、ムービー素材とリアルタイムレンダリングの合成も違和感が無い。
やや気になった点
イベントシーンのカメラが全体に悪く、イベントシーンのクオリティを下げている。なんというか、演劇的に感じられるイベントシーンが多い。演出意図の不明なカメラ注視が多いのも気になる
カメラにコリジョンが発生したときのカメラ強制移動が不自然なため、プレイ感覚を損なっている。具体的には、移動が速すぎる、キャラクタを見下ろす形にカメラが移動するのだが、このときカメラXZ軸がキャラクタと重なるとカメラがガクブルする。
パラメータが軽いため、猫っ毛のような妙なふわふわ感が醸し出されてしまっている。キャラクタごとにパラメータ調整されていると良いかも。
フェーシャルモーション(表情のモーション)は大変手がかかっているという印象。が、効果がイマイチと思われる。
現状では、エモーショナルな表現はFMV(Full Motion Video)に任せるか、もっと漫画的な表現にしたほうが良い気がする。
擬似DOF(DepthOfField)効果を狙って、遠景を縮小バッファに描画していると思われるが、イベントシーンによっては、縮小バッファの解像度が低すぎて、カメラ移動に合わせて遠景がカパカパいって気になる。
設定画面でのキャラクタ入れ替え後、1フレームだけ入れ替え前のシーンが表示されるため、やや苦しい。
ゲーム内容
ゲーム内容については、それほど語ることはないが、"ユニバーサルな"方向性を志向するあまり、前作FinalFantasyXやチーム前作ベイグラントストーリーにあった良い意味でのケレン味がスポイルされてしまっているのではないだろうか。
また、オマージュ、翻案、インスパイアについては自分は肯定的だ。が、StarWarsのプロットの一番美しい部分は「父と子の物語」であって、「ハン・ソロとその仲間たち」についてでは無いんじゃないか、と言ってみるテスト。ムービーの乾いた質感も、あるいは最近のSW系を意識しているのか、という印象がある。






